ある日、先生は弟子たちと一緒に、

田園へ散策にでられた

 

青々と伸びる稲をみて、

先生は言われた、

「ちょっと見ないうちに、

  順調に育っとんなぁ」

 

それを聞いた、弟子の

范兆期は、こう言った、

「それは先生、根があるからですよ。

 根があれば、稲は自然に育っていきます、

 

 それが学問も同じこと。

 良知は人にとっての根です。

 良知があれば、放っておいて、

 自然に学問は進んでいく、

 学びが進まない方が不自然ですよね」

 

そう答える范兆期はちょっと誇らしげだ、

そして、こう続ける、

 

「良知とは、仁の心であり、

 目の前に困っているもの、

 弱きものがいれば、

 居たたまれなくなる心、思いです。

 

 例えば、医者の場合で考えてみます、

 

 目の前に困っている患者を救いたい、

 そんま思いが強くなれば、

 (いわば医者の良知の感度が強くなれば、)

 

 医者は自らの技能を磨こうとするし、

 医療をさらに学ぼうとする。

 

 良知が高まれば、

 学ばない方が不自然ですよね。

 

 人にとっての良知は、

 稲でいえば、根にあたります。

 根があれば、自然に育っていきます。

 

 同様に良知があれば、 

 人の学びは進んでいきますよね」

 

先生は、その言葉に続けて、

 

「目の前に大きな大木があるとするやろ、

 人は大きな枝ぶりや、豊かに茂った葉に、

 注目する、

 

 でも、大切なのは、立派の木には、

 地面の下に、それよりも大きい根が、

 張っているということや。

 

 本当に大事なんは、根なんや。

 根が育てば、枝や葉は勝手に大きなるな。

 

 逆にその木の葉っぱが枯れたりしたら、

 葉っぱにいくら水をかけてもあかん。

 

 根に水をやらなあかんのや、

 根に肥料をやらなあかんのや。

 

 もう一回言うけど、大事なのは根やな。

 

 それから、もう一つ、

 大切なことがある。

 

 根のない稲って存在するか?

 根のない植物ってある?

 

 ないやろ?そんなん。

 根がない植物なんて存在しない。

 

 それは大自然の摂理や。

 

 それと一緒で、

 良知のない人は、

 存在しないんや。

 

 これも、

 大自然の摂理なんやな。

 

 

 根はすべての植物にあるけど、

 根が傷ついてたり、

 石なんかに覆われてたら、

 植物は育たんやろ?

 

 それは良知も同じや。

 心に大きなトラウマを抱えていたり、

 欲に目が眩んでたら、

 良知もうまく働かないんやな。

 

 でも、良知は万人にある。

 これを忘れんようにしたいよな」

 

 

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