抜本塞源論
辞書では次のように説明される、
木を根本から引き抜き、
水の流れを水源を塞いで止めること。
根本の原因を取り除いて、
弊害が再び起こらないようにすること。
陽明が生きた明朝末期は、
中国史上、
最も政治が腐敗した時代であった。
賄賂は横行し、
宦官たちは私欲を隠すことなく、
政治を思うがままに動かしていた。
官吏の登用試験である科挙では、
儒学思想の理解を問われる。
儒書には聖人のあるべき姿が書かれている。
しかし、受験者は聖人になるために、
学ばなかった。
自らの出世を目的にして、
儒学の知識をただ詰め込んだ。
試験に合格した官吏は、
自らの私欲を満たすべく、
その権限をつかった。
軍人である陽明は、
各地で起こる叛乱を次から次へ、
制定していった。
そんな中、
陽明はこう思ったのかもしれない、
世の乱れを治めるには、
人民の心のありようが、
変わらなければならない。
そうでなければ、
この世に安寧はおとずれない。
賄賂や不正が横行する背景には、
人は皆、いかに名誉を得るか、
いかに自らの欲望を、
満たすかを考えている。
それが叶うことが幸せだと思っている。
それが根本的な問題なのだ。
儒書にはこう書かれている、
いかに良心を発揮して生きれるか?
良心を発揮することが無常の喜びであり、
それこそが人の幸せである。
常に良心で生きれる聖人を目指すこと、
それが人の道である。
人の根本的な考え方が、
変わらなければ、
世に安寧は訪れないと考えた。
陽明は、同時代における、
最も有能な軍人であった。
しかし、陽明は、できるだけ多くの人に、
生涯を通し、のちに陽明学と呼ばれる、
考え方を説いていった。
世の安寧を求めるためには、
人の心が変わらねばならないのだと。
賊の反乱を見事に制定したあるとき、
陽明はこのように呟いた、
「山中の賊を破るは易し、
心中の賊を破るは難し」