江戸時代、

陽明学は庶民の間で流行していった。

 

その大きな理由は、

この「心即理」という考え方が、

庶民の心をぐいっと掴んだのだと思う。

そして、陽明学的な考え方は、

日本人のアイデンティティの一部となっていく。

 

心即理の解説と共に、

その経緯を説明してみようと思う。

 

 

王陽明が解説した儒学は、

人口的にマジョリティであった庶民に、

広く受け入れられていった。

(これが明治になって陽明学と名付けられる)

 

その理由の一つが、幕府が推奨した朱子学が、

「すごく堅苦しかった」ことが挙げられる。

朱子学も、陽明学も聖人になることを

目的とした哲学だ

(聖人になるというのは素晴らしい人格者になること)

 

しかし、両者は聖人になるための、「方法」が違った。

朱子学は、何よりも、

まず知識を身につけなさい、勉強しなさい、

それが強調される。

四書五経を覚えるくらい読み込んで、

偉い先生の話を聞いて、そこを目指しなさい。

 

それこそ、聞いている者にとっては、

「あの偉い先生の爪の垢を煎じて飲みなさい!」

と、そう言われている感じがするのだ。

 

 

堅苦しい、

すごく息苦しい感じがする。

 

その点、

王陽明は楽天的だ。

 


「何が正しいかは、人に教えられずとも、

  ちゃんと知っているだろ?」と問いかけられる、

例えば、困っている人が目の前にいれば、

助けたい、助けるべきだ、と思うだろ?

 

行動できるかどうかは別として、

人として、何をすれば良いかは、

 

教えられずとも、

ちゃんと分かってるだろ?

 

習わなくとも、教えられずとも、

何をすべきかは、誰もがちゃんと知っている。

それを【良知】(良心)という。

 


「聖人たる心は、元から自分の中にある」と、

 

人は教えられずとも、人の中には、

最初から聖人性が備わっている、

そのように陽明は説いた。

 


しかし、人間には、

「良心とは反対の「私心」があると説かれる。

 

 

「わかってるけど、面倒臭い」

「恥ずかしい」「自分だけ損したら嫌だ」など、

 

そんな心だ。

 

その私心があるがゆえ、

良知の通り、行動できないときがある、

そう言うのだ。

 

 

例えば、目の前に困っている老人がいても、
周囲の目を気にしたりして、
本当は手助けしたほうが良いと分かっていても、
ついつい、見て見ぬ振りをしてしまう、

しかし、落ち着いて考えれば、

良心はちゃんと知っているだろ。

陽明は言うのだ、

ちゃんと君の心の中にも、

聖人たる心(理)があるだろ?

それを「心即理」というんだよ。

 

そして、陽明は、

何も難しいことはないよ、

いつもその良心に忠実に、

行動すれば良いのだ。

 

そうすれば、ほら、

 

すごく晴れやかで気持ち良いだろ?

 

あなたが良心に忠実に行動し、

助けてあげたおばあさんが、

涙ながらに感謝している、

 

すごく幸せな気持ちになるだろ?

 

そのような心はまさに聖人たる心だ。

 

自分の中に、聖人たる心(理)は元からある。

そのように考える。

 

この聖人たる心は、

「天理」と一部だと説かれる。

 

「天理」とは、今の言葉で表現すると、

大自然の摂理と言えるかもしれない。

 

 

聖人になるために、小難しい分厚い書物を

読む必要はないのだ。

 

自分の心の中にもともと、

ちゃんと答えはある。

 

「心即理」。

 


学のない庶民や下級武士には、
非常に魅力的であった。

高いお金を払い、書物を買い、塾に通わなくとも、
聖人になれるのである。

流行るのも納得がいく。

 

王陽明の解釈は、

日本にあった既存の宗教と、親和性があった。

禅宗、特に臨済禅、浄土真宗の阿弥陀信仰、

そして、神道。

 

それらは学のない庶民の間で、

明確な区分をされることなく、

心学」と呼ばれた。そして、

日本人のアイデンティティとなっていった。


ここまで読んでくださった方は、

どこか共感する部分があったのかもしれない。

 

心即理を、そうそうと思える心、

それは日本人のアイデンティティの一部といっても良いかもしれない。

 

 

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