未発の「中」

 ~聖人、いや聖人の境地

 

 

 

 

王陽明はいう、

「未発の中」と呼ばれる、

心理状態が聖人の境地であり、

 

その状態を目指し、

それを維持することが何より大事だという。

 

では、「未発の中」とは、

一体、どういう状態なのか?

 

 

それは、

物事に対し心が、

まだ反応する前の、静寂な状態だという。

 

わかったような、

わからないような説明だ。

 

 

要は、目の前で起こる出来事に対し、

冷静で動じない心を持て、

そういうことだろうか?

 

否、その説明では、

十分ではないように思う。

 

 

 

「未発の中」とは、

天理である「良知·良能」が、

最も機能する状態なのだという。

 

 

王陽明をはじめ、陽明学の達人は、

超人的な成果をあげた実務家が多い。

 

陽明自身は、天才的な軍人で、

寡勢で、次から次へと反乱を治めていく。

 

それはもう、

漫画の世界のような活躍だ。

 

敵の心、今の状況、今後の展開が、

映像で見えているかのように、

的確に采配を振るっていった。

 

まさにそれこそ、

人心も、未来も、見える、

予知能力者のようだ。

 

 

良知が磨かれていくと、

実際に見えるのだという。

 

それは「先見知」と呼ばれる。

 

 

このような良知の働きが生まれる、

そのような状態が、

「未発の中」だというのだ。

 

 

この考え方は、日本の合気道などの、

武道に継承される。

 

 

合気道では、

体のどこにも力みがない状態、

その状態が体得することが目的とされる。

その状態が一番、強いのだと。

 

弓道でも、同じようなことが言われる、

 

体のどこにも力みがない状態を目指し、

それを体得すれば、放たれた矢は、

 

自然と的を射抜くのだという。

 

そのどこにも力みのない状態は、

「あぁ立ったりの手の内」と表現される。

 

 

「あぁ立ったりの手の内」とは、

 

赤ちゃんが初めて立ち上がり、

咄嗟に何かを掴んだときの、

手の形、体の状態のことを言うのだそうだ。

 

 

その状態になれば、

 

遠くに見えている的と

自分自身が一体となったように感じ、

 

自然と手から、矢は放たれ、

的の真ん中に矢が収まっているのだ言う。

 

(これは主客一体の境地と呼ばれる)

 

この世界観は、

明治時代、弓道の達人とドイツ人の弟子の、

やり取りを記した「禅と弓術」に詳しい。

 

(この本にスティーブ·ジョブスも、

  大きく影響を受けたそうだ)

 

要は未発の中の状態は、主客一体の境地を、

生み出し、そうなれば、

自分の体の痒いところを掻くように、

目の前で起こる物事を動作もなく捌けてしまえるのだ。

 

 

この境地のことを、

メジャーリーガー·イチローも

彼独特の言葉で表現する。

 

彼は筋トレを全くしないそうだ。

その理由を彼はこう説明する、

 

「だって、ライオンは筋トレしないでしょ?」

 

その代わり、綿密に、あるトレーニングをする。

それは、体のどこにも力みがない状態を、

作り出すトレーニングだ。

 

彼は、言う、

 

体のどこにも力みがない状態を作れば、

人間が本来もっているポテンシャルが最大化する。

 

そして、彼は、45歳というメジャー最高齢にして、

その強肩、塁間を走るスピードは、

メジャーでトップクラスを誇る。

科学的な頭では全く理解できない事実だ。

 

通常、

歳をとってもスピードを落とさないようにするには、

筋トレをすることを考える。

それを全くしないと言うのだから。

 

それはまさに、人知を超える。

超人である。

 

 

「未発の中」の状態と作り出せば、

超人とも思えるような、

ポテンシャルが発揮されるというのだ。

 

 

未発の中の状態は、

超人的な運動能力、そして、判断力を実現する。

良知·良能が最大化するのだ。

 

 

渡り鳥は、誰に教えられることもなく、

ある季節の一定の時期を知る、

 

そして、

何万キロ離れて湖へ、迷うことなく、

一直線に飛んでいく。

 

時季を3日と間違えることなく、

方向を寸分違うこともない。

 

誰に教えられずとも、

これから1ヶ月後にたどり着く、

何万キロ先の湖で、自分たちが、

豊富な餌にありつけることを知っている。

 

これは、渡り鳥には

少し先の未来がわかっていると、

言えるかもしれない。

 

人間以外の生き物は、植物も含め、

このような能力が備わっている。

 

いわゆる天理だ。

 

人間にもこの天理がある。

 

それが良知だ。この良知は、

感情がまだ動く前の状態、

 

「私欲」に全くとらわれることのない状態に、

なれば、その力がうまれるのだ。

 

王陽明は、生涯をかけ、

その良知の発現のさせ方、

活かし方を集約した。

 

だから実践哲学と呼ばれる。

 

そこに書かれた科学的とも言える哲学は、

東洋思想の華と表現される

 

 

そして、大切なことは、

良知は、自分のためには発露しない。

 

良知は、目の前にいる大切な人のため、

周囲を幸せにしたい、

その方向に働き続ける。