知行合一とは、中国は明の時代、

王陽明が唱えた陽明学、

その中心となる考え方の一つだ。

 

 

 

「知」と「行」は、

バラバラに存在するものではなく、

もともと一つなのだという意味だ。

 

紛らわしい言葉に、

【有言実行】がある。

 

しかし、

知行合一と有言実行は大きく違う。

 

 

知行合一とは、こういう意味だ、

 

例えるなら、

カレーを頻繁に食べる(行動)ヒトは、

カレーの美味しさを、

知っている(知・認識)ヒトである。

 

カレーを食べないヒトは、

カレーの美味しさを知らないヒトだ。

 

そんな意味である。

 

 

もう少し真面目に説明する、

 

電車でお年寄りに席を譲る(行い)ヒトは、

席を譲る喜び(知)を、

知っているヒトだ。

 

席を譲らないのは、

席を譲るという「行い」の素晴らしさや、

喜びを、まだ身をもって、

「知らない」からだと考える。

 

 

この話を脳科学的に説明してみる、

 

人間には2種類の行動しかないという。

 

【快感を求める行動】と、

もう一つは【苦痛を避ける行動】。

 

快感を感じるとき、

脳内ではドーパミンが分泌される。

 

カレーを美味しいと感じているとき、

脳からドーパミンがでているのだ。

 

そして、その快感を知ったヒトは、

また食べたいと思うようになる。

 

カレーを食べたことのない人は、

その快感を知らないから食べたいとは思わない。

 

脳科学的では、カレーを食べて、

ドーパミンが出るようになり、

そして、また食べたくなることを、

回路ができたと表現する。

  

この状態を【知行合一】という。

 

 

一方、【有言実行】は、

 

カレーを美味しいと思わない人が、

「残さず食べなさい!」と言われ、

 

「分かりました、食べますよ」と、

本人は食べたいと思ってはいないけれど、

食べると言ったので、食べる。

 

そんな状態のことをいう。

 

知行合一とは全く異なる概念だ。

 

(よく有言実行と知行合一は、

 混同し理解されていることが多い)

 

 

欲求の5段階説を唱えた、

心理学者アブラハム・マズローは、

人間の最高次の欲求は、

自己実現欲求だとした。

 

しかし、

 

マズローは、コミュニティ発展欲求が

(自分の周囲が幸せになる欲求)、

最高次の欲求だと考えていたと言われる。

 

 

共産主義に対する批判が強かった時代、

マズローは本音を発表できなかったそうだが、

最高次の欲求は、コミュニティ発展欲求だ、

それが定説となってきている。

 

コミュニティ発展欲求とは、

いわば他者幸福の欲求である。

 

儒学では、誰かを幸せにしたい、

困っている人を助けたい、

そう思う「心」、いわば、

「良知・良心」に沿っての行動こそが、

最高の幸せであり、最も理想的な状態だとする。

 

仏教ではこの「心」の働きを仏性と呼ぶ。

仏性は衆生すべての心に存在し、

仏性に従って、誰かに何かをしてあげたとき、

人は、一番の幸せな心持ちになるという。

 

その喜びに常に満たされる状態に、

常にあることを目指そうとするの仏教である。

 

良知・良心、仏性は、マズローのいうところんの、

コミュニティ発展欲求に近い。

 

これらは欲求であるから、体験したときに、

喜びを感じ、頭からドーパミンが分泌される。

 

知行合一の知とは、【良知】のことを指す、

 

言い換えれば、

仏性であったり、

コミュニティ発展欲求であったりする。

 

良知の喜びを知っており、

それが行動に移っている状態、

ドーパミンが分泌されている状態を知行合一と呼ぶ。

 

     

【余禄】

 

人間の最高次の欲求は、

他者の幸せに貢献すること。

そこにドーパミンの回路がある。

 

どうしてこんな回路が出来上がったのか?

だれがこんな回路を作ったのか?

 

これを先人たちは、自己の中にはたらく、

大自然の摂理、大宇宙の法則、

 

そう呼んだ。

 

夏目漱石は、最晩年、

【則天去私】と是とした。

 

己を去り、天に即して生きよ。

天の声は我が心の内より聞こえると。

 

我がうちに天はある。 

                                   

 

王陽明は37歳で、この原理に気がつく。

 

この陽明の覚醒体験は、

「龍城の大悟」と呼ばれる。

 

 

(>>超訳伝習録 第2話「知行」より)