一人の生徒が手を上げ、
先生に尋ねました、
「先生、良知がみんなの中にあることは理解しました。
それで、その良知の従っていけばどうなるのですか?」
良い質問やな、
ぶっちゃけて言えば、それは気になるよな。
リーダーが「良知」に従って
行動できるようになると、
次のようなことがあるかな。
❶正確な判断·決断ができるようになる、
❷説得力が身につく、
❸求心力がすごくなる、
❹自分自身がすっごく幸せ
《❶正確な判断·決断ができるようになる》
前から言ってるように、
良知とは、
ヒトの中に働く、
大自然の摂理の一部や。
だから、その判断は、
正確で、間違いないものになるんや。
例えば、
渡り鳥が毎年2万キロ離れた湖に、
間違いなく渡っていく。
迷うこともなく、
まっすぐたどり着けるのはなぜか?
渡り鳥の中にある、
大自然の摂理の一部たる感覚に従えば、
間違いようがないんや。
桜が間違いなく春に咲き、
昆虫も間違えることなく、
ある時季になれば羽化し、交尾をし、種を残していく。
これらの生き物は、自分の中に働いている情動、いわば、
大自然の摂理に従っているわけや。
人間にも当然、
その大自然の摂理が働いている。
それが良知や。
リーダーが自分の良知を研ぎ澄ましていく、
良知により導かれた判断に従えば、
その判断は間違えようがない。
哺乳類は、群れで行動し、
自分の仲間を守ろうとか、
慈しもう本能、
いわゆる大自然の摂理が働いている。
それがヒトにも働いている。
そして、
正確な判断力を身につけたリーダーは、
驚異的な成果をあげていったりする。
例えば、オレ(王陽明)も、
軍人としての采配や、
民衆自治を進めた施政なんかは、
常識では考えられないような成功を収めている。
何でそんなことができるんだって、
人々は、驚いている。
どうして、そんなことができたんか?
それは、心を落ち着かせ、
自分の私心に囚われないように、
自分の良知に聞いてみたんや、
すると、
何をしたら良いかが不思議とわかる、
そして、
そのように行動したら、
どうなるかが、不思議と見えてくる、
(これを「先見知」という)
優秀な陽明学者の多くは、
政治家、軍略家、財政家として、
天才的な実績を残してるやろ?
山田方谷や河合継之助、
渋沢栄一なんかは、その典型やな。
良知を研ぎ澄ませた彼らには、
ちゃんと見えてたんや、
何をすべきか、
そして、どうなっていくが。
なんか予知能力みたいな、
感じがするやろ?
渡り鳥は、どの方向に向かって、
飛んでいけば良いかを知っており、
そして、そうすれば、
豊かな湖があり、そこで、
自分たちはお腹いっぱい魚を食べ、
幸せでいられることを知ってる。
近代の日本の総理大臣が、
陽明学者をブレーンにしたのも、
その間違いのない判断力を求めたんや。
陽明学が後世の人によって、
実践哲学と呼ばれたのはそう言うわけや。
《❷説得力が身につく》
《❸求心力がすごくなる》
リーダーが示す判断や、
価値観を聞いた民衆は、
「そうか、なるほどっ!!」と、
みんながそう思うや。
人によって色々価値観があるから、
みんなが納得することなんてありえへん!!
そう思うかもしれへんな。
でも、パンダはみんな笹が好きやろ?
ちょっと柔らかめの笹が好きな奴もおれば、
硬めが好きって奴がおるかもしれん。
でも、どのパンダも、お腹が空いたら、
同じように、何か食べたいと思うし、
笹が好きなのは一緒や。
色々と価値観はあるけど、
みんな一緒という部分もある。
人間だって、
目の前の困っている人がいたら、
やり方や表現は違うかもしれんけれど、
その人に優しくしてあげたいのは、
みんな一緒やろ?
それは、
みんなに良知が等しくあるからや。
だから、己の良知を磨いたリーダーが、
良知に基づいて話す価値観は、
みんなも納得するんや。
日本の幕末、陽明学を学んだ西郷隆盛、
吉田松陰、勝海舟がものすごく説得力をもったのは、
そういうところやな。
最近で言えば、アメリカのオバマ大統領の演説に、
みんな熱狂していたやろう?あんな説得力やな。
そして、常に良知に従えるリーダーは、
他人のことも自分ごとのように考え、
国のことも自分の家のことのように、
考えるようになっていく。
誰かに喜ばしいことがあったら、
自分ごとのように喜ぶ、
他人が悪事に犯したときも、
それを自分が、
犯したことにように胸を痛めるんや。
良知というのは、何が善で悪かを、
判断、峻別する力で、
リーダーは、
自分の私心に目を背けず、
苦しくとも、それに向き合ってきた、
そんな人や。
だから、
自分の弱い心に負けてしまった人の、
苦しみも良くわかるんや。
だから、他人の犯してしまった悪事にも、
自分ごとのように心を痛めるんや。
どこかで、災害があれば、
自分が被災し、
自らが飢えているように思い、
誰かが、職を失い、貧しくなったら、
それは自分の責任であるかのように、
胸を痛めたりするんや。
自分の良知に従い、
突き詰めていけば、
そのような境地になってくんねん。
そんなリーダーに仕える部下、
民衆はどのように思うやろうな?
それこそ、みんな幸せやと思う。
自分に喜びを一緒に喜び、
苦しみを自分のことのように、
思ってくれるんやもん。
そのリーダーについて行こうと、
そう思うわな。
リーダーが良知に覚醒し、
その良知を磨き、
良知の通りに生きれるようになったら、
まず、周囲のもの、家族が幸せになり、
属する組織が幸せになり、
そして、やがては国、社会が幸せになる。
儒学ではそう考えるんや。
これを儒学の言葉で言うと、
「格物、致知、誠意 正心、
修身、斉家、治国、平天下」
これは、
四書五経の「大学」の最初のページに書いてあるんや。
「大学」って本は、
二宮金次郎が呼んでる、
あの本が「大学」や。
《❹自分自身がすっごく幸せ》
話は初めに戻るけど、
リーダーが良知に生きたらどうなるか?
良知に従ったら、
すごい大きな成果や結果を残せるんやけど、
リーダーはその効果を求めて、
良知に従うのではない。
では、なぜ、良知に生きるのか?
それはそうすることが、
無上の喜びだから。
これは本当のことや。
自分自身で体験して思う。
これ以上の喜びはないんやな、
これが。