自分を周りと比べ、
自信をなくす弟子たちがいました。
そのせいか、
修行にも身が入らないようです
その様子を見て、
陽明先生は言われました。
「聖人になるための方法、
それは一つしかないねん。
難しいことを考えても意味ないで。
めっちゃ簡単なことやねん」
日常の一瞬一瞬で、
自分の中にある私欲を意識すること。
『あっ俺、今、めっちゃセコイこと、考え』とか、
『私、自分が損するんちゃうかとか考えてるわ』とかね。
そういう気持ちに気がつくことが大切やねん。
そして、気がついたら、その気持ちに
囚われないようにすること。
自分の中に、
セコイなぁとか、ずるいなぁとか、
しょぼいなぁとか、すけべやなぁとか、
ちょっと人には言えない自分が、
誰にでもおるやろ?」
生徒たちは、恥ずかしそうしながら、
お互いの顔を見合わせ、
苦笑いを浮かべている。
そして、
生徒の中で、一番の優等生で、
皆からも真面目だと思われている生徒を
先生は指名して、
「自分はどうや?そんなセコイ自分はおらんか?」
「そんなことないです。いつもそんなことばっかり、
考えているのですごく悩んでいます」
先生は、満足げに続けられました。
「誰にでもそんなセコイ自分がいるやろ?
大事なことは、みんなそんなセコイ自分がおると、
気がついているやろ?
そして、そんな自分をセコイって判断してやろ?
この能力のことを良知っていうねん。
教えられずとも、ちゃんと何が正しいか、
間違っているかをちゃんと知っている。
この力のことを良知っていうんや。
この良知は天理って、言い換えても良いな」
大切なのは、
日々の中で、あっ俺、今、セコイこと、
考えているわというのに気がつくこと。
そして、次にそのセコイに囚われないように、
本当はこうした方が良いっていう言動をすること。
聖人になる修行って、要はこれだけしかないねん」
「みんなが知っている聖人、偉人たちも、
これを忠実にやって、すごい人になったんや」
不純物の混じり気の少ない金を純金にする手間より、
たくさんの不純物がある金を精錬する方が手間がかかるよ。
同じように人もいろいろや。
めっちゃすけべなやつも居れば、
それほどでもない奴がおるみたいな感じや。
それから、誰かに教えられずとも、
これは悪いことやな、この考えはセコイなと、
わかっていることもあるけれど、
人生経験を積んでいくうちに、後から、
あれは自分の私欲やったなぁと、
気がつくこともあるやろ?
そんな風に、
最初から知っていることもあれば、
勉強していく中で、気がつくこともある。
そのどっちも大切やな。
そりゃあ、人によって、
器用なやつも居れば、鈍臭いのもおるから、
少しの修行でうまくいくやつもおるけど、
たくさんの修行が必要なやつもある。
それをグダグダ言うてもしゃあないな。
それから、
すごい偉人・聖人だと言われるほど、
若い頃、
ものすごい強烈な私心を、
持っている人が多いねん。
私心が強いだけに、それに気がついた時の、
めっちゃ恥ずかしいという思いも強烈や。
それに気がついて、良知に従って、
行動したときの晴れ晴れした気持ちも
普通の人よりも強烈やと思うねん。
それはもう快感やろね。
いや、それはもう、
喜びって表現した方が良いかもな。
この快感とか喜びが大きいことが、
彼らを後に偉大な人にしていく大きなエネルギーに
なったんやないかと僕は考えてんねん。
実際、ずいぶん、
若い頃の俺は、やばかった。
でもそれがあったから、今があるなと思うな。
ちょっと違うかもしれんけど、例えて言うなら、
どこから見ても理想的な夫とかお父さんみたいな人が、
実はバツイチで、昔は、すごい遊び人で、
すごい痛い目にあって改心した、
そんな話ってよく聞くやろ?
ちょっとこれは愚痴みたいになるけど、
聞いてくれる?
最近は、自分の知識、学力や能力なんか、
人と比べて、追い求めるやろ?
残念やけど、それでは聖人になれない、
そろどころか、
聖人への距離が遠くなることもあるねんな」
先生が話された後は、いつものことですが、
生徒たちの顔は晴れやかです。
特にオチこばれグループは表情はとくに。