(人として)、
何が正しくて、間違っているのか、
教えられずとも、
ちゃんと知っている。
これを「良知」という。
いわゆる良知っていうのは、
人であれば、誰にでも、
必ず備わっている機能なんや。
この地球に存在するの生き物の、
行動全て、その行動の目的は、
種の保存・繁栄のためものや。
水を飲むのも、獲物を狙うのも、
メスを求めて他の雄と喧嘩するのも、
つまるところ、種の保存・繁栄のためや。
サバンナにおいて、
水牛の群れが、ライオンに襲われたとき、
大人の水牛は、子供の水牛のために、
我が身を呈してでも、子供を守ろうとする。
哺乳類は群れでないと、
生き延びれないから、自分の命と同様に、
自分以外の存在を大切にしようという機能が、
もとから備わっている。
これはまさに大自然の摂理や。
この大自然の摂理を、
大宇宙の法則って言う人もおる。
儒学では、「天理」という。
万人の心の中にある「良知」は、
自分の中に機能する大自然の摂理、
宇宙の法則そのものやな。
この良知のことを、
小宇宙のはたらきと言う人もおるし、
仏教では、「仏性」、
神道では、「神の分け御霊」っていう。
人の心に良知があるのは、
聖人であろうが、
凡人であろうが変わりわない。
まぁ当たり前のことやな。
「良」っていう字には、
「Good」っていう意味もあるけど、
「本来の」っていう意味がある。
良知の「良」は、
「本来の」って意味やな。
言い換えたら、教えられずとも、
もともと備わっている「知」という意味やな。
この良知に従っていえば、
間違いはない。
ただ、それがなかなか難しい。
わかっちゃいるけれど、なかなかできない。
それをどうやったらうまくいくか、
その方法が具体的に示されているのが、
儒学やな。
仏教もそれは同じやな。
一人の生徒が先生に尋ねた、
「その良知に従っていければ、
どうなるんですか?」
いい質問やな、
それはもう、
すごいことになるんや、、、、
(第一五話 後半に続く)