ある生徒は、とても怒りっぽく、
すぐに癇癪を起こしていた。
口を開けば、
他人(ヒト)の悪いところを指摘して、
他の生徒もそんな彼には辟易していた。
そして、彼自身も自己嫌悪に陥っていた。
陽明先生は、彼にこう話しかけられた、
「十分、わかっていると思うけど、
学ぶ目的は聖人になることやろ。
聖人は心がいつも良心で満たされてる。
君も僕もそこを目指して日々学んでるわけや。
僕らの心の中に、良心は必ずあるが、
また同時に、必ず私心もあるな。
だから、いつも自分の心を省みて、
私心を見つけては、
それを一つずつ取り除いていく。
それが学ぶということであり、
聖人への道やな。
(これを事上磨錬という)
そやけど、自分の心を省みたら、
そりゃもう、嫌になるくらい私心だらけや。
他人に対する妬み、
サボりたいとか、楽したいとか、
自分だけ得したい、人から褒められたい、
モテたいとか、
綺麗な娘を見たら、〇〇したいとか、
口に出せないような私心もいっぱいや。
正直なところ、そうやろ?
しかし、
この自分の中にある私心に気がつくこと、
その能力こそが、良知・良心の働きなんや。
良知・良心の働きによって、
自分の私心に気が付いたら、次には、
その私心に流されることなく、
あるべき言動をしていくこと。
そうやって一つずつ、私心を乗り越えていけば、
実に清々しい気持ちになる。
心が充足されていく。
それが学ぶということ、学ぶ喜びやな。
真剣にこの学びをしていこうと決意し、
自分の心をよく省み、
次から次と湧き出る私心に、
対応していたら、それこそ、
他人のことを気にしてる時間がなんかあらへんで。
他人の私心を見つけるその視線を、
自分の心に向けて見たらどうや?
勇気がいるかもしれんけど、
やってみたら、そこには、
清々しさ、
言葉にはできない喜びがあるよな。
舜(伝説の聖人)が、
傲慢でとんでもない象(舜の悪名高き弟)を、
どのように良え奴に教化したか、知ってるか?
その秘訣は、こんな感じや。
まず、舜は、
象の悪いところには目を向けなかった。
そして、象の良いとこだけに注目したんや。
いわゆる美点凝視というやつや。
そして、舜は、
象のもつ良知・良心を育んでいったんや。
そして、大きく育った良知・良心が、
象自身の傲慢なところを、
諌めていったというわけや。
もし、舜が象の悪いところを正そうと、
そこばかりを指摘していたら、
象は良くならなかったかもしれないな。
この美点凝視というやり方は、古今東西で、
ひどい問題児を更生させた名指導者たちが、
用いたやり方なんやけどな。
話は戻るで。
君が他人の欠点が気になり、それを何とか、
してやりたいと思うのなら、
他人の良いところ、良心を見つけてやって、
それを言葉にして伝えてあげたらどうやろ。
それは、言われた方も、言った君も、
幸せな気持ちになること、請け合いやで」