第3話 「立志」
弟子のひとりが、陽明先生に質問した、
−先生、教えて欲しいのです、
どうすれば、志を立てられるでしょうか?
陽明は、微笑みながら、
請願する若者に語りはじめた、
–まず、大それた夢やビジョンを掲げよう、
そんな風に意気込むことはないねん、
そう考えるから難しくなるねん。
ええか、目の前にある出来事に、
自分は人としてどうあるべきか、
まずは、それを考えてみるねん。
例えば、ある雨の日、
小さな女の子が傘もささず、
びしょ濡れで立っているとする。
それを見て、君はどう思う?
親御さんは近くにおらんのかな?
大丈夫かな?
何かオレにできることはないかな?
そんなことを思うやろ?
実際に、
何か行動を起こすかどうかは別として、
ともかく、一人の人間として、
何かをしたほうが良いなと、
分かってる、知ってるやろ?
困っている人を見たら、
実際に行動に移すかどうかは別として、
何かしてあげたいと思うやろ?
これを仁の心というんや。
行動できるかどうかは、別として、
人として、どうすべきかは、
教えられずともちゃんと分かってるやろ。
これを「良知」というんや。
そして、人にはみな必ず良知が働いている。
この良知の働きは天理なんや。
天理というのを言い換えて、
大自然の摂理とか、宇宙の法則って、
表現したほうが、わかりやすいかもしれないな。
とにかく、この良知は、
人間という生き物すべてに、
教えられずとも最初から備わっている機能なんや。
志を立てようと思うなら、
今の今、目の前に起こる出来事に対して、
良知で何をすべきかを考えてみることや。
すると、ちゃんと自分にも、
良知が働いているんだと、
だんだん、確信できてくるはずや。
行動できるかどうかは別として、
ちゃんとどうしたいかはわかってるって。
自分の中にも間違いなく、
天理が働いているなと、
確信が持てるはずや。
そして、気がついたら、その天理に従って、
日々、行動していくことやな。
そうして、天理、良知に従って、
目の前の課題を解決する。
良知で感じた課題に対し、行動したら、
それはもうすごい嬉しくなる。
でも、その課題が解決したら、
その先に新たな課題がでてくるねん。
そして、それを解決すれば、
また新たな課題がでてくる。
そうやっていくうち、
心の中に自分を突き動かす思いは、
確固たるものになってくる。
自分が本当にやりたいこと、
理想は、こういうものやと、
確信できるようになるねん。
その確固たるものが志というものや。
先人たちもそうやって志を立ててきたんや。
普通の人は、ようわからんけど、
俺はこれをやってみようかな、なんとなくやけど、
これがやりたい気がするねんというのに気がつくのだ30歳くらい、
間違いない、俺はこれをやってる時が一番幸せやと
気がつくのが40歳くらい。
そして、それをやっていくと、50歳くらいで、
自分が成し遂げた成功や幸せになって人たちをみたら、
なるほど、天はおれにこれをさせるために、
この世に俺を遣わせたんかと気がつく。
これに気がついたら、今夜死んでもエエってくらい、
幸せな気持ちになるねん。
ちなみに孔子は、ほんまに死んでもええってつぶやいたし、
俺は52歳のときに、それに気がついて、嬉しすぎて、
その場で、思わず、ツイストを踊ってもうてん。
エエか、まずは目の前のことを、
良知でむきあって、行動することやで。
悩むことはない、そうしていけば、
いつの間にか志は立ってるはずやで。
まぁ、焦るなってことや。
メモ
ちなみ良知のことを英語では、
[con-science]と書く。
[con]は共通するという意味で、
[science]は科学という意味。
良知とは、
万人共通する科学(メカニズム)、
そのよう訳しても良いかもしれない。