超訳伝習録第二話「知行合一」

 

 愛弟子の徐愛が、

陽明先生に尋ねました、

 

「先生、親孝行が大事だ、

 目上の人は敬うべきだ、

  

 そんなことは誰でも知ってますよね?

 

  でも実際のところ、

 多くの人はそれを、

 実行できてないじゃないですか。

 

 やっぱり、知っていることと、

 実行することはは別モノなんですよね?」

 

それは陽明が、これまで、

数え切れないくらい、

回答してきた質問だった。

 

陽明先生は、嫌な顔一つせず、

短く息を一つ吐き、

そして、気を入れ、

こう答えられた、

 

 

 私は、知っていることと行うことは、

 分かれていないと常々、言っている?

 

 ここで言う、「知っている」とは、

 単に「知識を持っている」、

 そんな意味とは違うねん。

 

 ここで言う「知っている」というんは、

 「身をもって知っている」とか、

 「体認」しているとか、

 そういう意味やねん。

 

 だから、親孝行はすべきだと、

 知識として知っているということではなく、

 

 親孝行を知っているというのは、

 

  【親孝行する喜びを知っている】とか、

 

 【親孝行を全くせずに

   自分のお母さんが亡くなった後、

  親孝行できなかったことを、

  心から悔やんでいる。いわば、

  親孝行できなかった苦しみを、

  知っている】

 

 そんな状態が

 知っているという意味なんや。

 

 だから、そういう喜びや苦しみを、

 知っている人は、

 それを、必ず行動に移す。

 

 もし、

 行動に移してないとすれば、

 それは、まだその喜びとか苦しみを、

 十分に知らないからだと考える。

 

 そして、その喜びを知れば知るほど、

 親孝行という行動は増えていくだろ?

 

 私はこれを知行合一、

 または、知行合一並進と、

 そう呼んでるんや。

 

 よく【知行合一】を

 【有言実行】と同じ意味で、 

 使っている人がいるけど、

 あれは勘違いやな。

 

 有言実行というのは、

 自分が口にしたことを行動に移すという、

 そういう意味やろ。

 

 何となくお説教くさい言葉やな。

 

 でも知行合一は、違う。

 そんな説教っぽい言葉やなくて、

 人間って、その喜びを知ったら、

 自然と行動に移すだろっていう、

 人間がもつ性質を表した言葉やな。

 

 だから、実際に行動に移さない人をみたら、

 無理やり行動させようとはしないで、

 

 『この人は、その喜びをまだ知らないんやな』

 

 そう考えて、

 『じゃあ、一度、体験させてあげようか』

 

 そんな風に考えるのが、

 陽明学的な考え方なんや。

 

 

徐愛は、笑みをたたえ、

陽明先生の話を聞いている。

 

徐愛がこの質問をするのも、また、

初めてのことではない。

 

陽明先生のところには、

悩み大きき若者たちが

年中、各地からやってくる。

 

ときに入門して浅い弟子が、

先生に挑むようにして、

問うてくるのだ、

 

 「知行合一」というけれど、

  実際は違うじゃないですか?

 

自分の後輩となる塾生の様子を察し、

徐愛が、あえて陽明に質問したのだ、

 

陽明も徐愛も心得たものだ。

 

この疑問は、徐愛も超えてきた、

陽明学では大切な大切な、

ステップの一つだ。

 

そして、

陽明先生にとっても、

いつか来たまさに道なのだ。

 

 

 

500年後の未来から)

 

2000年のノーベル生理学・医学賞、

スウェーデンの薬理学者、

アルビド・カールソンが、

ドーパミンの働きと、

パーキンソン病に関する研究で、

同賞に選ばれる。

 

脳科学的には人間の行動には、

「快」を求める行動と、

「苦痛を避ける」行動、

この2つしかないという。

 

そして、

「快」の行動を行われるとき、

脳内でドーパミンという、

脳内ホルモンが分泌されるという。

 

だから、動物の行動は、すべて

ドーパミンの快感に、

促されていると言っても良い。

 

人間を含めた動物は、、

食事や睡眠といった、

生命の維持につながる行動をとったとき、

種の繁栄につながる行動をとったとき、

 

脳内では、

快感ホルモン(ドーパミン等)が、

分泌されるようになっている。

 

大自然の摂理としか表現できない、

プログラムが私たちの中にも組み込まれている。

 

ただ、人間は、生命維持や、

種の繁栄に関する欲求や行動が、

行き過ぎてしまうことがあるのだ。

 

食欲は生命維持につながるが、

たべすぎが万病の因なり、

 

異性を求める行動も、

母が子を思う心なんて、

まさに種の繁栄につながるが、

行き過ぎたところから悪害が始まる。

 

アルビド・カールソンの

ノーベル賞から遡ること500年、

 

この原理を解明し、なんと、

学術的レベルに留めず、

教育、軍事、まちづくりといった、

実践的なノウハウへ昇華していた。

 

驚くしかない。

 

この生物すべてに働くプログラムであり、

自分自身の中にも働くこの作用を、

陽明は始めとした聖人たちは、

これを「天理」とよんだ。

 

それ以上の命名はないのでは、

そのように思える。

 

医療、科学が発展した現代でも、

このプログラムは依然として、

「天理」としか呼びようがない。

 

 

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