超訳伝習録「リーダーが良知に生きたら、スゴいことになる」

 

 

  

 

 

 

(>>第十五話前半からのつづき)

 

 

一人の生徒が手を上げ、

先生に尋ねました、

 

「先生、良知がみんなの中にあることは理解しました。

 それで、その良知の従っていけばどうなるのですか?」

 

良い質問やな、

ぶっちゃけたところそれは気になるよな。

 

リーダーが「良知」に従って

行動できるようになると、

次のようなことがあるかな。

 

 

正確な判断·決断ができるようになる、

説得力が身につく、

求心力がすごくなる、

自分自身がすっごく幸せ

 

 

正確な判断·決断ができるようになる》

 

前から言ってるように、

良知とは、

ヒトの中に働く、

大自然の摂理の一部や。

 

だから、その判断は、

間違いないものになるんや。

 

例えば、

渡り鳥が毎年2万キロ離れた湖に、

間違いなく渡っていく。

 

迷うこともなく、

まっすぐたどり着けるのはなぜか?

 

渡り鳥の中にある、

大自然の摂理の一部たる感覚に従えば、

間違いようがないんや。

 

桜が間違いなく春に咲き、

昆虫も間違えることなく、

その時季に羽化し、交尾をし、種を残していく。

 

これらの生き物は、自分の中にある、

大自然の摂理に一部に従っているわけや。

 

人間の中にも当然、

その大自然の摂理が働いている。

 

それが良知や。

 

リーダーが自分の良知を研ぎ澄ましていく、

良知により導かれた判断に従えば、

その判断は間違えようがない。

 

哺乳類は、群れで行動し、

自分の仲間を守ろうとか、

慈しもう本能、

いわゆる大自然の摂理が働いている。

 

それがヒトにも働いている。

 

そして、

正確な判断力を身につけたリーダーは、

驚異的な成果をあげていったりする。

 

例えば、オレ(王陽明)も、

軍人としての采配や、

民衆自治を進めた施政が、

すごい、すごいって、

何でそんなことができるのって

びっくりされたりする。

 

どうして、そんなことができたんか?

それは、心を落ち着かせ、

自分の私心に囚われないように、

自分の良知に聞いてみるんや、

 

すると、

何をしたら良いかが不思議とわかる、

そして、

そのように行動したら、

どうなるかが、不思議と見えてくる、

(これを「先見知」という)

 

優秀な陽明学者の多くは、

政治家、軍略家、財政家として、

天才的な実績を残してるやろ?

 

山田方谷や河合継之助、

渋沢栄一なんかは、その典型やな。

 

良知を研ぎ澄ませた彼らには、

ちゃんと見えてたんや、

 

何をすべきか、

そして、

どうなっていくが。

 

なんか予知能力みたいな、

感じがするやろ?

 

渡り鳥は、どの方向に向かって、

飛んでいけば良いかを知っており、

 

そして、そうすれば、

豊かな湖があり、そこで、

自分たちはお腹いっぱい魚を食べ、

幸せでいられることを知ってる。

 

近代の日本の総理大臣が、

陽明学者をブレーンにしたのも、

その間違いのない判断力を求めたんや。

 

陽明学が後世の人によって、

実践哲学と呼ばれたのはそう言うわけや。

 

 

 

 

説得力が身につく》

求心力がすごくなる》

 

リーダーが示す判断や、

価値観を聞いた民衆は、

 

「そうか、なるほどっ!!」と、

 

みんながそう思うや。

 

人によって色々価値観があるから、

みんなが納得することなんてありえへん!!

 

そう思うかもしれへんな。

 

でも、パンダはみんな笹が好きやろ?

ちょっと柔らかめの笹が好きな奴もおれば、

硬めが好きって奴がおるかもしれん。

 

でも、どのパンダも、お腹が空いたら、

同じように、何か食べたいと思うし、

笹が好きなのは一緒や。

 

色々と価値観はあるけど、

みんな一緒という部分もある。

 

人間だって、

目の前の困っている人がいたら、

やり方や表現は違うかもしれんけれど、

その人に優しくしてあげたいのは、

みんな一緒やろ?

 

それは、

みんなに良知が等しくあるからや。

 

だから、己の良知を磨いたリーダーが、

良知に基づいて話す価値観は、

みんなも納得するんや。

 

 

日本の幕末、陽明学を学んだ西郷隆盛、

吉田松陰、勝海舟がものすごく説得力をもったのは、

そういうところやな。

 

最近で言えば、アメリカのオバマ大統領の演説に、

みんな熱狂していたやろう?あんな説得力やな。

 

 

そして、常に良知に従えるリーダーは、

他人のことも自分ごとのように考え、

国のことも自分の家のことのように、

考えるようになっていく。

 

誰かに喜ばしいことがあったら、

自分ごとのように喜ぶ、

 

 

他人が悪事に犯したときも、

それを自分が、

犯したことにように胸を痛めるんや。

 

良知というのは、何が善で悪かを、

判断、峻別する力で、

 

リーダーは、

自分の私心に目を背けず、

苦しくとも、それに向き合ってきた、

そんな人や。

 

だから、

自分の弱い心に負けてしまった人の、

苦しみも良くわかるんや。

 

だから、他人の犯してしまった悪事にも、

自分ごとのように心を痛めるんや。

 

 

どこかで、災害があれば、

自分が被災し、

自らが飢えているように思い、

 

  

誰かが、職を失い、貧しくなったら、

それは自分の責任であるかのように、

胸を痛めたりするんや。

 

 

自分の良知に従い、

突き詰めていけば、

そのような境地になってくんねん。

 

 

そんなリーダーに仕える部下、

民衆はどのように思うやろうな?

 

それこそ、みんな幸せやと思う。

 

自分に喜びを一緒に喜び、

苦しみを自分のことのように、

思ってくれるんやもん。

 

そのリーダーについて行こうと、

そう思うわな。

 

 

リーダーが良知に覚醒し、

その良知を磨き、

良知の通りに生きれるようになったら、

まず、周囲のもの、家族が幸せになり、

属する組織が幸せになり、

そして、やがては国、社会が幸せになる。

 

儒学ではそう考えるんや。

 

 

これを儒学の言葉で言うと、

「格物、致知、誠意 正心、

 修身、斉家、治国、平天下」

 

これは、

四書五経の「大学」の最初のページに書いてあるんや。

 

「大学」って本は、

二宮金次郎が呼んでる、

あの本が「大学」や。

 

 

自分自身がすっごく幸せ》

 

 

話は初めに戻るけど、

リーダーが良知に生きたらどうなるか?

 

良知に従ったら、

すごい大きな成果や結果を残せるんやけど、

リーダーはその効果を求めて、

良知に従うのではない。

 

 

では、なぜ、良知に生きるのか?

それはそうすることが、

無上の喜びだから。

 

これは本当のことや。

自分自身で体験して思う。

 

これ以上の喜びはないんやな、

これが。

 

 

自らの良知の活かし方、

磨き方を学ぶ、陽明学入門講座、はじまります

(>>もっと詳しく)