大火事と日本人

 

災害が起こったとき、

日本人が助け合う様子は、

海外から賞賛される。

 

避難所で食料などの物資が配れれる際、

日本人は整然と列を作り順番を待つ。

 

避難所では、トラブルも起こるが、

それ以上に多くの美談が生まれる。

 

 

このような日本人の美徳は、

江戸時代に起こった災害によって、

生まれたという説がある。

 

 

徳川幕府の首都 江戸。

人口はおよそ100万人。

近世における世界最大の都市であった。

 

人々は、肩を寄せあうように、

小さな木造の家を建て暮らした。

 

江戸の名物は、

火事、喧嘩に花火といわれるように、

実に火事の多い都市であった。

 

一度、火事が起これば、

密集した木造住宅に

瞬く間に延焼していった。

 

江戸時代における初めての大火事は、

1657年の明暦の大火だ。

 

江戸の町の大半を焼き尽くし、

江戸城の天守閣も燃えおち、

約10万7000人が亡くなったと言われる。

 

江戸では、そんな火事が

3年に一度は発生したのだという。

 

しかし、明暦の大火以降、

火事での死者は激減する。

 

しかも火災を経験していくことで、

逆に江戸は、発展し、奇跡とも言われる、

文化都市への成熟していったのだ。

 

 

そこにどんな秘密があるのだろうか?

 

 

⑴死者が減ったのなぜか?

 

明暦の大火以降、都市計画として、

火事の広がりを少しでも、遅らせるために、

広場が設けられていった。

 

「町火消し」が組織される。

火消しは住民のボランティアであり、

体力に自信のある男たちが心意気で参加した。

 

町火消しの消火方法は、

延焼を防ぐため、火元に近隣する家屋を、

打ち壊していく。

 

このとき、住民は延焼を防ぐために、

自らの住まいを打ち壊してくれと、

進んで申し出たという。

 

 

(2)被災直後の助け合い

焼け出された人たちには、すぐに

握り飯などの配給が届いたのだそうだ。

 

火事の多い江戸では、住民たちが、

自主的な備蓄を行ない、災害時には、

被災した人々に配ったのだ。

 

さらには、火事で燃えた家を

新たに建てるための木材も、

近郊の池に普段から備蓄されていた。

 

近所の人たちが集まってきて、

みんなで一緒にあれよあれよというまに、

家を建ててしまうのだ。

 

木材等の材料代はいるけれど、

家を建てるのにお金を要らない。

 

そして、1ヶ月もすれば、

元の生活に戻ったのだという。

 

江戸っ子たちは、

延焼を防ぐため、自ら進んで、

我が家の打ちこわしを頼むことを、

「いなせ」だといい、

 

物質には執着しない姿勢を、

宵越しの銭をもたないのが粋だと、

持ち上げ、

 

そして、何より、自分のことより、

人の手助けをすることが、

「粋」で、カッコ良いとされた。

 

たくさんの家事を経て、

江戸は、世界で一番、治安がよく、

人々の優しさが行き届いた、

奇跡的な文化都市になっていった。

 

幕末に来日したイザベラバードは、

女性が一人旅をするのに、

これほど安全な国はないと、

治安の良さと、

日本人の誠実さを世界へ紹介した。

 

我々の中に、災害の都度、

自らの優しさを確認し、

それを豊かな暮らしにつなげる、

DNAは確かに受け継がれている。

 

 

 

NHKスペシャル シリーズ 大江戸 第3集

「不屈の復興!!町人が闘った“大火の都”」

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